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Ministry of Culture, Sports and Tourism. Asia Culture Center

『マレーシアのポピュラー音楽コレクション企画展』

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2019-10-29

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『マレーシアのポピュラー音楽コレクション企画展』

ポップ・ヌサンタラの歌(Lagu~Lagu)1960s–1980s Vol.2


「アジアのポピュラー音楽アーカイブプロジェクト」の一環で、国立アジア文化殿堂がマレーシアポピュラー音楽コレクションをお披露目します。新しく始まる本展では、1960年代から1980年代までのマレーシアのポピュラー音楽形成期を概観する興味深い資料が多く展示されています。



本展では、マレーシアの音楽史を、その発展の様子により三つに分けて展示しています。



民族主義の音楽家、P.ラムリーとサローマ

1950年代から1960年代まで、マレーシアでは歴史的な出来事や事件が多く起きています。5カ国以上の国から植民地支配を受けたことのあるマレーシアは、独立のための戦いを続け、1957年にはようやく念願の独立を果たします。このように、マレーシアの国民は、建国の過程で「マレー民族主義」という運動が広まりますが、この時期にマレーシアの音楽と映画が、華やかに発展を遂げていきます。

P. ラムリー(P. Ramlee)とサローマ(Saloma)は驚くべき才能の持ち主であり、夫婦のアーティストで、今日のマレーシアのエンターテインメント産業の礎を築いた人物です。P.ラムリーはミュージシャン&歌手で俳優であり、計401曲の歌を作曲し、66編の映画に出演しました。妻のサローマも歌手兼女優で、500曲以上を録音し、1979年にはマレーシアのエンターテインメント産業への功労が認められました。





若者の文化と「ポップ・イェイェ」

「ポップ・イェイェ」という音楽のジャンルがマレーシアに現れたのは、1960年代の音楽的転換期と軌を一にします。当時の若者はビートルズなど、イギリスの多くのバンドから多大な影響を受けますが、これらのバンドは音楽的スタイルだけでなく、ファッションにまで影響を及ぼしました。しかし、マレーシア社会はそのような影響を退廃的だとして拒否し、次第に「Pop Yeh Yeh」スタイルの音楽は衰退していきます。




マレー民族主義から愛国主義まで

「ポップ・イェイェ」の時代が幕を閉じ、マレーシア社会は、イギリス人によりマレーシアに流入した移民者集団の問題に直面します。移民者の流入でマレーシアの人口構成は多様になり、マレーシア社会の中で様々な問題が浮き彫りになります。

1969年に結成された多民族バンド「Allycat」は、インドと中国出身のメンバーで構成されていました。このバンドは、民族間の不平等を乗り越えた、国家間の統合に向けた歌をつくり、1970年代以降、人気を集めました。一方、歌手のスディルマン・アーシャド(Sudirman Arshad)は、階級間の壁を取り壊し、平等な社会を実現しようという内容の歌を多く発表し、マレーシアという国のシンボルとして人気を集めました。




本展では、マレーシアのトップミュージシャンたちに触れることで、マレーシアの歴史を学ぶことができます。本展は2020年4月19日まで、国立アジア文化殿堂(ACC)・ライブラリーパーク(Library Park)で行われ、無料で観覧することができます。


文:エステファニ・マンダラチ・ロザレス(Estefany Mandarachi Rosales)、12期ACC記者団

デザイン:シム・ソラ、12期ACC記者団



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